思っていた事
お騒がせしております。
そうでもないかっ。
でもまぁ喜んでくれるのなら嬉しい。
ありがとうございます。
自分にもまだまだ価値があるのか、はたまた自分でつけるのか。
これからだよね。
宜しくお願い致します。
THE SNEEZEと言うバンドをやっておりました。
知ってるか、知らないかは別としてそのバンドを約12年、俺自身は8年か。
何もわからないところから始まり気付けばたくさんの人に愛されるバンドになっておりました。
しかし解散。
遡ること今年の2月。
当時出したミニアルバムのリリースツアーの最中。
解散が決まって俺は将来どうなりたいんだろうか、考えるようになった。
今働いてる所に再就職(昔は正社員として働いていた)?それとも全く違うこと?
はたまた、、、?
考える日々が何となく続き出た答えは
"有名になりたい"
と言う本当に学生がバンド始めるきっかけばりの浅はかなものでした。(笑)
芸能人になろうと思い、Googleで検索。
タレント なるには
1番上に出てきたサイトのオーディションを受けるために資料請求。
本当に届いた。
もちろん冗談半分だったので行かなかったけども。(笑)
何て事をやっていたのだがやっぱりバンドをやりたいと思うようになった。
ただでもやるには生半可な気持ちじゃできないし、どうしてもただバンドをやりたいって気持ちだけではなかった。
"やるからには売れたいし結果を出したい"
それが先行した。
まだまだ見たい景色があるとか上に行くとかそんな抽象的な話じゃなくて"これで飯を食べたい。"
と思うようになった。
そうなった時にじゃあ誰とバンドをやるんだろう。
誰の横でギターを弾くんだろう。
いろんな事を考えた。
けど考えるまで至らなかった。
さっき書いたように俺の中で最高のバンドだったのだTHE SNEEZEと言うバンドは。
そのバンドのボーカルの横で自分がいるっていうのに意味があったのだし誰にでもできるもんでもない。
ましてやそいつ意外に誰かいるのかなと考えた時にいなかった。
じゃあ誰がやるんだろう。
自分でやるしかないか。
これがボーカルをやろうと思ったキッカケ。
言っちゃえばそれだけなのだ。
そこからよく1人でカラオケに行くようになった。
何回My hair is...と検索しただろうか。(笑)
そして今ではボイトレにも通っている始末。
そんなキッカケから始まったけど歌うの好きになってる自分もいる。何だそれって感じだよね。
2月。
そこからメンバー探さなきゃと思うようになった。
曲の構成、ジャンル、人数、ありとあらゆるものが関わってくるけど色んな事を加味した上で、経験とか年数とかキャリアとかどっちでも良かった。
この人とやりたいって人とやろう。
念頭にこれがあったから言ってしまえば
誰でもいいのだ。
でもあなたじゃなきゃいけない理由がある。
これが1番大事にしていたところ。
その頃ちょうどさっき言った通りリリースツアー中だった。
昔から知り合いではあった後輩の目黒 友弥と言う男が付いてきてくれていた。
結構仲良かったし、多分彼が当時ドラムをやっていたらTHE SNEEZEのドラムやってたのかなとかぼんやり考えたりもする。(笑)
彼もバンドをやっていたのだけど中々頻繁に活動できないバンドだった。
しかも当時解散したのか?確か。
ピンボーカルをやっていたけどなかなか優柔不断な優しい男。
顔もまぁイケメンだしバンドやらないで普通に生きていた方が正解なのにな。とか思ったりもする。(笑)
そんな彼が何の考えもなくベースってかっこいいですよねなんて話したもんだから本当に軽いノリでえ、じゃあやる?なんて車の中で話したのは今でも忘れない。
俺も誘う気なんてさらさらなかったしバンドやりたそうだなこいつはなんて思って話を聞いてあげるただの良い先輩だったのだけど、なんでだろうな。誘ってしまった。(笑)
人で選ぶということ。
これが念頭にあるから考えが色んな変換をして口に出てしまったのだろうか。
しかし本人も俺で良いならやらせてくださいと言うもんだからじゃあまあちょっと練習してきてみて〜なんて感じで始まった。
まだ寒い2月の事。
時同じくしてドラムをどうしようと考えた。
実は当時THE SNEEZEにドラムとして入るかもしれないって男がいたのだけれど歳も一緒だしなんだかバカでいいやつだし入るかもって説もあったんだけど解散が決まってしまったのでそれもなくなった。
新しくバンドやるから良かったら一緒にやらないかと声掛けたんだけどまぁ色んな事情が重なって断られた。
今は違うバンドで叩いてるみたいだし活躍を願っているっ!
それでふと頭に浮かんだ男がいた。
それが細見 健人。
前から親交があったし俺は単純に彼が好きだったし彼も好いてくれていた。
ボーイズラブか。(笑)
2人でよく飲みに行ってたし、宇宙探検隊と言うバンドで彼もドラムをやっていたのだけれど3年位前?に解散していた。
いつか一緒にバンドでもやりたいですねなんてよく話してたもんだ。
そこからめっきり会ってなかったけど脳裏によぎったもんだからすぐさま連絡。
しばらく連絡とってない男からの電話で良く出たもんだなと今でも思う。
会いに行った。
色々話したんだが、断られた。
その時俺自身も健人はダメかな〜なんて思っていたもんだからどうしようかな〜って感じだった。
他に思い当たる節はあったんだけど、"人で選ぶという事"と言うのがやはりどう考えても彼しかいないって言うところの答えになった。
だからやっぱりもう一回口説きに行った。
いつものアルプス。
いきなり本メンバーはあれかもしれんけど、ええで!と割とあっさりだった。
こっちがどんな思いで新宿に向かっていたことか。(笑)
だからまぁ彼は一応メンバーでもない。
かと言ってサポートとも思っていない。
彼が叩けないならライブはやらないし、レコーディングも撮影も全て無しだ。
それ位信頼信用、なくてはならない存在だからまあメンバー寄りのサポート?みたいな(笑)
本人にもその話はしてあるし色々な事情があるだろうけどあんたとじゃなきゃやらないしこのバンドもそもそも無しだってくらい考えてるからね。って話してある。
そんな感じでベースとドラムは決まった。
最低限は決まったな〜とぼんやり考えていたのだが鍵盤を入れたかった。
その頃にはもう完全に"人で選ぶ"を最重視して動いていたのでそれが強かった。
と言うかまぁもちろんそれは今でも変わってない。
色んな紹介で結構たくさんの人(なのか?)と連絡取ったりした。
年齢、男女問わず。
ただやはり女性の方が多かった。
しかしなるべく避けたかったのだ、女の方は。
何故なら弱いから、俺が。
女子のボディタッチとか優しくされるとすぐ勘違いするから、俺。(学生か)
不純な動機のため避けた。(笑)
しかし男の人も凄い上手い人とかもまあいたんだけどやはり人間的なところでどうしても違うなと思ったのでやめた。
ぼんやり誰かいないかな〜とショッピングモールにいたら後ろから声をかけられ、振り返った。
1人いたのだ。
完全にウマが合うやつで、仲の良い血も繋がってるんじゃないかみたいな、ちょっとだけキーボード弾けるやつ。
朝倉 大樹(実兄)だ。
うわ、いるじゃんって1人で燃え上がったのを覚えてる。
もちろんその日に速攻口説きにかかった。
え?俺?みたいなリアクションと共に断られた。
よく考えりゃ当たり前だ。
友弥はまだ22歳。
新しく何かを始めたところでそう遅い歳でもない。
俺の4個も下。
しかし大樹は今年29歳。
もう結婚して子供いてわりかし役職も付いてきてそろそろ人生楽しくなってきたみたいな感じの年齢だ実際。
仕事もしてるし、それを今辞めてバンドを始める。
ましてやほぼ初心者だ。
確かに昔少しキーボードを触っていた時期はあったけども俺が今からボーカルをやるのとかとはまた話が違う。
はっきり言って正気の沙汰ではないのだ。
でも多分こいつやるだろうなとなんとなく思った。
もう26年も一緒にいるのだ。
考えとか感覚とか思う事は似てるところがある。
そりゃそうだ血繋がってるんだから。(笑)
思い返せば俺がバンド始めたのも彼が原因だ。
彼が当時高校の卒業ライブに向けてギターを始めた。
朝倉少年(弟)は当時中3。
サッカー少年も高校行ったら卒業だなと思っていたところに音楽という誘惑が訪れ、気付いたら兄とバンドを始めた。
ちなみにその時のドラムは従兄弟が叩いていたので謎の完全身内バンドであった。
俺はベースボーカルやってたんだけどまぁダサいメロコアをやっていたもんだ。(笑)
兄とバンドをやるのは2回目。
いつも何かと俺は兄の真似をしていたと思う。
水泳、サッカー、音楽。
昔はよく兄ちゃん兄ちゃんと後ろをついて回ったもんだ。
それが今回はどうだ。
思い返せば兄の後をくっついていた俺が今度は音楽に真剣に打ち込んでいるところにまた新しくバンドを組むとなってそこに兄を招き入れた。
これは今までの人生で初めてだ。
散々後をついて回った弟からの誘い。
これは初めてだったと思う。
断られたもののうちの兄はどこかで音楽をやりたいというのを知っていた。
そんなのわかってはいるがじゃあ現状今すぐできるもんでもない。
それがしかしTHE SNEEZE解散、新しいバンドが色々動いてるのを肌で感じていて、自分が誘われている現状を考えれば、、、
どこかのタイミングでやると言うであろうと思っていた。(笑)
そしたら案の定やると言い出した(笑)
昼間にラインが来た時は1人ニヤついたもんだ。(笑)
そして4人になった。
ちゃんと決まったのは7月末位か?
2月から随分と時間が経ったように思う。
水面下で動いていきすこーしずつ曲を作り、カラオケで練習し、月1で友弥に会い、ベースを練習し、健人に話をしに行き、曲を送ったり、大樹とも話したり。
ただやっぱりTHE SNEEZEが忙しかったし最後までしっかりやり遂げたかったから実際ちゃんと動き出したのって解散してからなんだよね。
連絡も取れなかったりした中で待ってくれていた友弥とか了承してくれた健人君にはマジで感謝している。
待っててくれていたのだ。こんな自分でもね。
本当にたくさんのことがあったと思う。
メンバーには話しているんだが、出会うべくして出会うなんてドラマチックな事なんてそう無いと思う。
人生は思ったよりやっぱり普通だし想像できる範囲の事しか起きなかったりする。
でもだからこそもっと後付けで良いんじゃ無いかって思う。
君が、あなたが、メンバーである理由なんて後から付いてくるもんでしょ。
その時の軽いノリでも今素晴らしいならそれも十分なドラマがあるし、今思ってることが昔と多少違くてもそれはそれとしてもっと後付けでいいって思うんだよね。
だから構わないと、初心者だろうがなんだろうが、大事な人と何かをできるってのは素晴らしいし、最低条件なのだ。
そんな事を考えるようになるとやっぱり初めは有名になりたいという俺のワガママから始まったけどこの人達の生活とか、人生とか、夢とか全てひっくるめた時に、売れるとかがゴールなんじゃなくて、売れるとか、生活を安定させるのが最低条件なんじゃ無いのかなって思うようになった。
もちろん仕事しながらでもバンドはできると思う。
間違っていないし、そもそも間違いなんてもんはない。
ただ本当に大事に思える人たちと出会えた時にその人の事考えちゃうよなって。
そんな良い人ぶってんじゃねえとか、簡単じゃねえなんて説教はわかってるんだけど全て加味したらやっぱ全部取りたいなって。
俺の夢も、メンバーの幸せも。
だから改めて責任持って背負い込みながら生きていきたいなと思いました。
そして何より人に応えたい。
あくまで自分のためにやってることなのにいつからか応援してくれる人たちがいて、いつからかあなたのためになんて思ってる自分がいる。
なんだこれって感じだよね(笑)
メンバーもよくやるなって思うよ。
だって曲も何も聞かせてないのにやるって言ったんだよ?
ありがたい話だ。
自分の人生を人のために生きるなんて間違ってるなんて声も聞こえそうだけど誰かを応援することで自分も感化されて頑張ろうと思えるなら、自分のためにとかいってる俺があなたのためにと言って感化されるなら。
それも立派なWIN.WINだよなと思う(スペルOK?)
だからこそ自分のためにも人に応えたいバンドをやりたいと思った。
言いたいことずっと提示するかっこよさも知ってる。
だけど一つの問いが、迷いがあってそれをたった一つの曲で、一つのライブで解消されるならそれはそれは素敵である。
ただ発信じゃなくて、受け止めた上で応えて行く。
そんなバンドを歌を、歌いたいと思う。
やっぱり止めたからわかるものもあるよね。
そんな想いとか、迷いとかも全部含めたんでkisekiと言う名前をつけた。
大事な大事な名前です。
奇跡じゃなくて軌跡ね。
でも皆で苦しみながらもいつか奇跡みたいなパンデミック起こそうね。
本当に色んな人が応援してくれている。
自分の足使って人に会って沢山話して、中には切れられた人もいた。
"お前のそんなの遊びでやれよ"って。
悔しかったなー。
もちろん応援してくれていたからね。
だから解散するなと。
"お前が新しくやる事なんてこれから真っ裸でアマゾンのジャングル出るようなもんだ。"
"そんなの遊びでやれって。"
自分の決心なんて人には伝わらないもんかもしれない。
それでも応援してくれる人がいるのだ、仲間だったりお客さんだったり。
たくさんの人が協力して今の自分があると痛感しています。
言えなくて準備期間の間にたくさん思うことがあった。
発散もできないから不安になる日々もあったし、逆に自信がみなぎる日もあったよ。
決意も覚悟も引っくるめてまた歩いていきます。
むしろ歩くと遅いんで走りますけど。
もちろんたまに休むね。疲れちゃうから(笑)
結局ど新人。がむしゃらにやってみます。
皆様本当によろしくお願いします。
あげたら本当にキリないんだけど決意と覚悟を決めた日から会った人たちへ、現段階の個人的なスペシャルサンクス。
一旦ありがとうございました!
これからもよろしくお願いしますね(笑)
画像ある限り!
ではまた!
上げきれないね。(笑)
Thanks!!